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第43話 楽しみは後に取っておく

last update Tanggal publikasi: 2026-10-12 19:06:44

「まだ離婚してないんだから、夫でしょう」

 私は燎を睨んだ。説明会場では、まだ医師が次の選考について話している。

 私の仕事を取られた話をしているのに、気になったのはそこ?

 腹が立つ。けれど、燎がいつもの余裕をなくしているのは、少し嬉しかった。

 正臣を夫と呼ぶだけで、そんな顔をするの?

「仕事の話をしているのよ」

「聞いている。負けたな」

 今は、莉乃の方が進んでいる。それは分かっている。でも、燎にまで負けたと言われると、悔しくてたまらなかった。

「まだ終わってないわ」

「なら、勝て。NEXUS ONEを通るまでは、金は出さない」

 でも、勝てるの?

 さっきの莉乃の答えを思い出した。何も言い返せなかった。次も、また私より先に評価されたら?

「俺を使っていい」

 思わず燎を見た。

 この人が一緒なら、勝てるかもしれない。

 頼みたい。でも、ここで頷いていいの?

「……いらない」

 こんなところで弱った顔を見せたくなかった。

「そう言うと思った」

「なら、放っておいて」

「プライドか?」

「あなたに借りを作りたくないの」

 プライドは、も
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    「灯里が勝つところを、そばで見たいからだ」  燎は私を見たまま、真鍋の問いに答えた。説明会場脇の控室で、真鍋が黙る。  頬が熱くなった。手のひらまで、じんわり温かくなる。  私が勝つところを、見たい。  もう家で大人しくしていろとも、誰かに任せろとも言われない。この男は、私がやりたかったことを知って、一緒に勝とうとしてくれる。  嬉しかった。  今すぐ抱きつきたくなるくらい。でも、真鍋の前でそんなことはできるわけがなかった。 「一日なんて頼んでない」 「足りないなら増やす」  また、勝手に。  嬉しい。  でも、簡単に喜ぶ女だとは思われたくなかった。 「勝手に決めないで」 「今すぐ始めないと間に合わない。違うか」  違わない。そこが、なおさら腹立たしかった。  真鍋は何か言いかけ、口を閉じた。 「分かりました。病院側は私が引き受けます。開発の方は、どなたに声をかけますか」  燎は私へ目を向けた。 「形にするには、何が足りない」 「医師に何から見せるか、まだ決めきれてないの。診察する側の意見と、動くものにする人手が欲しい」  燎が、神崎修一教授とエリック・ウォルシュの名を挙げた。  一人は小児消化器の共同研究を率いる医師。もう一人は、海外の複数病院をつなぐ仕組みを作った技術者だった。  どちらも私が論文や講演で知っている人だ。父と、いつか意見を聞いてみたいと話したこともある。  真鍋が顔を上げた。 「お二人とも、面談の予定は半年先まで埋まっています。明日は難しいかと」 「俺が直接連絡を取る。明日の朝だ」 「待って。その二人に、明日?」 「会って何を聞くか、今から考えろ」  呼べることを疑ってもいない。  父と私が、どうすれば会えるだろうと話していた人たちなのに。  驚いたあと、急に楽しみになった。  私が開発で悩んできたことを、直接聞ける。  あの二人なら、どこを面白いと思うだろう。  断ろうとしていたことも忘れて、質問が浮かんだ。  燎は真鍋へ向いた。 「場所はSENOVAの開発室を使う」  真鍋が燎へ尋ねた。 「紗英様との会食は、どうなさいますか」 「俺から断る」  真鍋が控室を出ると、燎は電話をかけた。 「明日の食事には行けない。別の日にする」  静かな部屋に、女性の声がかすかに

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    「まだ離婚してないんだから、夫でしょう」  私は燎を睨んだ。説明会場では、まだ医師が次の選考について話している。  私の仕事を取られた話をしているのに、気になったのはそこ?  腹が立つ。けれど、燎がいつもの余裕をなくしているのは、少し嬉しかった。  正臣を夫と呼ぶだけで、そんな顔をするの? 「仕事の話をしているのよ」 「聞いている。負けたな」  今は、莉乃の方が進んでいる。それは分かっている。でも、燎にまで負けたと言われると、悔しくてたまらなかった。 「まだ終わってないわ」 「なら、勝て。NEXUS ONEを通るまでは、金は出さない」  でも、勝てるの?  さっきの莉乃の答えを思い出した。何も言い返せなかった。次も、また私より先に評価されたら? 「俺を使っていい」  思わず燎を見た。  この人が一緒なら、勝てるかもしれない。  頼みたい。でも、ここで頷いていいの? 「……いらない」  こんなところで弱った顔を見せたくなかった。 「そう言うと思った」 「なら、放っておいて」 「プライドか?」 「あなたに借りを作りたくないの」  プライドは、もちろんある。でも、それだけじゃない。  助けてやると言われるたび、あとのことが怖くなる。仕事を渡し、生活まで任せたら、また何も言えなくなるのではないか。  正臣にも、最初は頼っていた。あの時だって、私のために動いてくれると思っていたのだ。  燎は私から目を離さなかった。 「それより大事なものがあるだろう」 「……何よ」 「息子のために作ったものまで、あの女に渡すのか」  息子を持ち出すなんて、卑怯だ。  断れなくなると分かっていて、言っているの?  けれど、莉乃はもう動くものを見せた。私は考えただけ。三十日で追いつき、追い越さなければならない。  一人でやれると意地を張って、そのせいで間に合わなかったら?  莉乃に負けたくない。奏汰のために始めた仕事を、もう一度あの女の手柄にされるのは嫌だった。 「どう使えっていうの?」 「君に足りない人間と場所を揃える」  使えと言われても、どう使えばいいのか分からない。人に何か頼む時は、断られないように小さくしてきた。  この男は、どこまで頼めば嫌な顔をするのだろう。 「……条件は?」  燎が顔を寄せた。 「閉会

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     莉乃が、薄い端末をテーブルへ置いた。 「CARE-LINKです。ご覧ください」  同じ説明会場にいたNEXUS ONE側の医師が、莉乃の前へ出た。周囲の人たちも端末を囲む。  莉乃は正臣を見上げた。正臣がうなずくと、画面へ触れた。  食事、睡眠、薬、病院で測った数値が、一週間分並んでいる。  莉乃が腹痛の印を押すと、痛みが出る前の食事と睡眠時間が大きく表示された。病院での検査結果も、その横に出る。  父と二人で作った画面より、ずっと分かりやすい。  何度も画面を開き直さなくても、家と病院で起きたことを一緒に見られる。  さらに、莉乃は子供用の画面へ切り替えた。  身体の絵と、笑っている顔、泣いている顔が並ぶ。お腹を押し、泣き顔を選ぶと、医師が見る画面にも答えが現れた。  医師が、端末へ手を伸ばした。 「触ってみても?」 「どうぞ」  莉乃が端末を渡す。  医師は食事の印を押し、検査結果を開いた。もう一度子供用の画面へ戻ると、口元を緩めた。 「ワンダフル。これなら、小さな子も使えますね」  端末を囲んでいた人が、隣の男へ身を寄せた。 「あの画面なら、うちの子も答えられそうだ」  別の人も、見せてほしいと手を伸ばす。  世辞ではない。  私も、奏汰に使わせてみたいと思ってしまった。 「お腹が痛くなった時、その前に何を食べたか、眠れていたか。お薬のことも、一緒に見ていただけます」  莉乃が、落ち着いた声で言った。  奏汰が五歳の時、父の研究室で、私は同じことを言った。  ――痛い、だけじゃ昨日と今日を比べられない。食事も、睡眠も、薬も一緒に見たい。  それを、この女が自分の経験のように話している。 「あなたが、開発を率いているんですね」  医師が端末から顔を上げた。  莉乃は一度も私を見なかった。 「はい。私が責任を持っています」  莉乃は私と同じように、褒められた時だけ少し顎を引いた。  話し方まで似せる必要がある?  腹が立った。  私の言葉で説明し、私の仕草で褒められている。  でも、それだけではなかった。  前の面談では、質問の意味さえ分からなかった女が、この画面を迷わず動かしている。  説明を覚えただけかもしれない。  そう思いたかった。 「一つ、聞いてもいい?」  私が言うと、周

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    「特許ごときが、自分たちを守ってくれると思っているのか。ずいぶん楽観的だな」  NEXUS ONEの説明会場で、燎はまだ正臣を見て笑っていた。 「特許は使わない」  燎の言葉に、正臣が鼻で笑った。 「では、何も作れない。灯里には会社も、開発者も、試験データもない」  周囲で話していた人たちが、こちらを見る。  燎は正臣を見据えた。 「最初から作り直す」 「ちょっと。作り直すのは私よ。そんなの無理よ」  燎が私へ顔を向けた。 「なら、この二人に全部渡して諦めるか」  私は唇を噛んだ。  渡したくないに決まっている。二人には、何一つ。  でも、何年もかけて作ったものを、また最初から作り直すの?  奏汰が五歳の頃、腹痛の原因が分からず、食べたものも薬も睡眠も、私が一つずつ記録した。父と何度も設計をやり直した。  CARE-LINKは、そうやって作ったものだ。  簡単に言わないでよ。作るのは私なのに。  燎が一歩近づいた。 「同じものを取り返すだけで満足する女なら、俺はここまで賭けていない」  強い目が、まっすぐ私を見ていた。 「俺が欲しいのは、CARE-LINKじゃない。次を作る君だ」 「何を……」  勝手な男だ。  私より先に、私が次を作ると決めている。  この男は、私の身体だけでなく、研究者としての私まで欲しいと言っている。  私の全てを。  嬉しかった。  欲しがられていると思うと、身体が熱くなった。  今、燎にキスしたい。  あの夜みたいに、自分から。  それを知られたくなくて、燎から目をそらした。  正臣の会社にあるのは、私が作ったCARE-LINKだ。  莉乃は、その欠点を見つけた。  なら、私は何を作る?  九年前、顔も本名も知らない男と考えた、新製品の構想が浮かんだ。  毎日、患者や家族が入力しなくても、機器や病院から必要な情報が集まる仕組み。  あの時は、大きすぎる構想だと思った。  理論上は可能だ。簡単には作れない。  でも、SENOVAの仕組みを使えれば、すべてを一から作る必要はない。  何より、奏汰が腹痛で苦しむ前に、異変に気づけるかもしれない。  あの子のために、まだできることがある。 「やるわ」  私は燎を見た。 「あなたの会社の仕組みを使う」 「ああ、その

  • 夫がメイドを私の名前で抱いた――すべてを奪われた元・天才医療研究者は、冷徹社長に溺愛される   第40話 私が負けても、私は私よ

    「違う」  自分でも驚くほど低い声が出た。 「勝っても、あなたは私にはならない。私が負けても、私は私よ」  莉乃の笑みが消えた。  ノートの角が、握りしめた指の下で折れた。 「……ならない?」  声がかすれた。本当にショックを受けたようだった。  けれど、莉乃はすぐに持ち直すと、また私の真似をした。私と同じ角度で顎を上げた。 「では、何を争うんですか」 「患者に届くものを作れるかどうか。それだけよ」  NEXUS ONEは、海外の病院と研究機関が、日本で一社だけ開発相手を選ぶ。  父が生きていた頃から、いつか挑みたいと話していた選考だ。  名前を奪い合うための場所ではない。 「きれいごとだ」  正臣が切り捨てた。 「会社名もない。人もいない。製品もない。そんな状態で、選ばれると思っているのか」 「SENOVAは、彼女の会社と共同で出る」  燎が答えると、周囲の何人かがこちらを見た。 「設立前の会社と?」  参加企業の男が、隣の男と顔を見合わせる。  正臣は鼻で笑った。 「基盤だけあっても、中身は作れない」 「CARE-LINKを設計したのは彼女だ。次も作れる」  燎は当然のように言った。  私なら、もう一度作れる。  燎は、そんなふうに思ってくれていたんだ。  嬉しかった。  正臣が莉乃の肩へ手を置いた。 「こちらには会社も、開発陣も、試験データもある。君を開発から外したあとも、準備は進めてきた。今さら勝てるとでも?」  正臣は莉乃へ、励ますように微笑んだ。  陰のある目元がやわらぐと、端正な顔は昔の優しい夫そのものに見えた。  研究の進捗を話すたび、私に向けていた笑顔だった。  もう、あの笑顔を取り戻したいわけではない。  それでも、私の仕事を奪った莉乃へ向けられると腹が立った。  隣で、燎が私をちらりと見た。  私は気づかないふりをした。 「何より、CARE-LINKの特許はこちらにある。それに、灯里も準備してきた。そうだろう?」 「ええ、私、勉強しました」  莉乃がノートから手を離し、私を見た。 「それで、欠点を見つけました」 「欠点?」 「患者本人が入れた記録も、家族が代わりに入れた記録も、今のCARE-LINKは同じ一件として並べますよね」  すぐには答えられなかった。

  • 夫がメイドを私の名前で抱いた――すべてを奪われた元・天才医療研究者は、冷徹社長に溺愛される   第39話 勝った方が、本物の灯里です

    「出るに決まってるわ」  燎が満足そうに笑った。 「そう言うと思った。だが、久条も出る」  代表になった柊吾が出てくるだけなら、燎はわざわざこんな言い方をしない。 「誰が来るの?」 「相良莉乃が、CARE-LINKを持ってくる」  その名前を聞いた瞬間、腹が立った。  私が本物だ。  私の仕事も、父の会社も、あの女に渡さない。  偽物に、負けるわけにはいかなかった。 * * *  それから一週間、私は毎日あの最上階へ通った。  ほとんど眠れないまま、燎が集めた技術者や弁理士と、CARE-LINKの設計を残して久条の特許を避ける方法を、朝から夜中まで探し続けた。  案はいくつも出た。  けれど、検証も、新しい特許を出願できる段階まで仕組みを固めることも、今日までには間に合わなかった。  翌週の午後、私は燎と並んで、都内の国際医療センターにあるNEXUS ONE選考説明会へ入った。  会場の前には、国内の医療企業や研究機関の関係者が集まっていた。  足を止めた私の腰へ、燎の手が回る。 「止まるな」  薄いスーツの生地越しに、指の力と熱が伝わった。 「怖がってない」 「知っている。腹が立っている顔だ」  燎が顔を寄せる。いつものコロンが、ふわりと香った。 「その顔を見ていると、今すぐ連れ帰って、俺しか考えられなくなるまで抱きたくなる」  あの夜の唇を思い出し、脚の間が甘く疼いた。  一週間も、あの続きをしていない。  悔しくて睨むと、燎は楽しそうに口元を上げた。  腰を抱かれたまま扉をくぐる。  正面に、正臣と莉乃がいた。  莉乃は白いシャツに黒いスーツを着ている。髪も短くまとめ、使い込まれたノートを胸に抱いていた。  一週間前より、また私に似ていた。  目元が少し腫れている。寝不足にも見える程度だった。  けれど、二重の幅と目尻の角度が、前より私に近い。  何か、変わった?  私の視線に気づくと、莉乃は私と同じ角度で顎を上げた。  正臣の視線が、私の腰にある燎の手で止まった。  陰のある目元が、すっと冷える。 「その手を離せ」  近くにいた男たちが会話を止めた。  燎は手を離さない。 「誰に命令している」 「僕の妻に触るな」 「正臣さまの妻は、私です」  莉乃がすぐに言った。  そ

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